介護

2016年7月14日 (木)

急に…終わった。。。

唐突に始まった介護
本日、急に終了しました。

「急に」って感じるのは....
だいたいこんなぐらいかな、と
自分で予想してたのより
一ヶ月早かったから。

いろいろな事情があって
自分には絶対出来ないと思ってた事が
すんなりできて自分で驚いたこと
家族の絆を感じて楽しくもあった事

文明の利器が役立って面白かった事
プロの介護士さん達を見れた事

2人と3人は全然違うとわかった事

いつも新しい問題が発生して
「同じ」が続かないこと

今度は何が起こるんだろ???


…と思ってたら、葬儀か!
こっちは経験がある。
初めての2人を助けながらもうひとがんばり

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2016年4月25日 (月)

それは唐突に始まった…親の介護

Rose02
※本文と画像は関係ありません

1年前、高齢な母が肝臓がんのステージ4であることが発覚。
ガンを切り取るような手術はできないけど
肝動脈塞栓術とか肝動注化学療法というカテーテル治療はできる、
と言う事でその方法を選択。

私は2年前に肝臓がんと肺がんを併発した友人を失ったし
その時から、ガン治療してる人達のブログを何十人分と
読み続けて来たので、この時は漠然的に
「あぁ、うちの母も最後はホスピスかな…」と
なんとなく想像しながら覚悟を決めていた。
  

けれど、事態は想像してなかった違う方向に。
   

今年3月下旬、何度目かの肝動注化学療法を受けて
退院して来た母の様子が少しおかしかった。
物忘れが酷く、言動も時々おかしい。
でもまぁ普通に会話や生活もできてたんだけど
そのうち、尻餅をついて背骨の圧迫骨折をしてしまった。

しばらく整形外科に入院となったのだけれど
物忘れぐらいだった母がこの入院を機に
言動がもっとおかしくなった。
看護師を警戒し、病院食や水も警戒し、
一切口にしない日が続く。
もちろん薬も飲まない。

整形外科から他の病院に転院を勧められたり
あまりに何も口にしないので、
「このままでは退院予定日までもちません」
と言われたりで急遽、いろいろ頑になっている母を
自宅に引き取ることになった。

こうしていきなり想像もしてなかった
高齢でガンで痴呆気味な母の
自宅での看護&介護の日々が始まったのです。
   

ここのブログに介護日記のような
詳しいお話を書くつもりはないのですが、
親が末期がんと聞いて、その時想像してたのと
全然違う方向にあっという間になったので
こんな事もあるんだよ〜という話として書いてみました。
   

まぁこれは実家での出来事なのですが
実家には拡張型心筋症なのに割と元気な高齢父と
独身長男(弟1号)が居て
会社員の弟1号は3ヶ月の介護休暇を会社に申請。
母の介護保険の認定手続きもして
ケアマネさんも決まって介護用ベッドもやってきて
家の中がそれらしくなりました。

でも、通い介護の私も含めて全員シロウトなので
なんだかさっぱりわかりません。
私は母が自宅に戻った翌日に行ってみたんですが
その時母は退院時に着ていたいわゆる“よそゆき”風な
服を着たまま(厚手のズボンも履いて)
ベッドに横たわって毛布と羽毛布団を掛けてました。
(結構暑い日だったのに

なぜそうなのかというと、
母の背骨の圧迫骨折がまだ治ってなくて、
誰が外したのかコルセットもつけていません。
ちょっと身体を動かしただけでもすごく痛がるのです。

しかも、“痛い事をされると警戒して頑になる”ので
また水を飲まなくなったら私達が困るので
もう触る方はビクビクです。

介護って、清潔な服を着せたり身体を拭いてあげたり
オムツを交換したり、食べ物をたべさせたり、、、って
想像してたけど、第一関門はなんと“着替え”でした。

弟1号と「どうやってやればいいんだ?」と途方に暮れます。
私なんか案外あっさりしてて
「そうだハサミで今着てる服切っちゃおか!」とか
(それじゃ着せる服はどーすんだよw)
言い出すんですが、弟1号は「いやいやいや」と
案外根気よく少しずつだましだまし脱がせていったりする。

私は感受性が人一倍強いので、あんまり痛がる人を見ると
自分が先に倒れちゃったりするもんだから
母が「イタタタタタ」と唸りだすと
私の方が「ヒィィィィー」となって隣の部屋まで
逃げ出したくなる始末

それと結構大きな問題も発生。
実家では弟1号と料理ができるなにかとマメな高齢父が
介護にあたるつもりだったのに
いざ始めてみたら、母が長男ベッタリになり
(長男の言う事しか聞きません)
父を寄せ付けません。

寄せ付けないばかりか父には暴言を吐く。

老老介護で最後まで面倒見ようと張り切っていた父は
心折れて心臓病悪化するし
母にはなんとか着替えさせられてもまだ身体拭けてないし

 

なんかね、なにもかも想像してたのと違うんですわぁ┐(´-`)┌

 

でもね、想像してなかったもうひとつの事として
このなにもかも初めて経験を母以外の家族で同時に体験すると
なんだか必死に助け合って家族の絆みたいなのが
芽生えそうになってる気配も感じられる。

(ま、そうでなきゃ乗り越えられない事なんだよね)

幸い、うちの姉弟は全部で3人。
一人は遠方だけど、遠方は遠方なりに
参戦の方法があるだろうし
子供の時以来の「ねーちゃん!」とかいう呼びかけを
聞きながら大人になった3人で一生懸命
“初めて”に立ち向かっていくのもなかなか良いかな…
と、ちょっと思ったりもする。

ピリピリしてたり疲弊したり、不満が発生したり
喧嘩になったり、といろいろあるだろうけど
乗り越えれば確実に家族の絆が強まるんだろなと
今は明るく考えたい。

Rose01
やっぱりバラは真ん中が、すぼまっていて欲しい...

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2007年4月25日 (水)

奇跡を見た気がする....

義母の件ではたくさんのメールやアドバイス、体験談、
生の励まし等、本当にいろいろありがとうございました。
今までまったく知らなかった世界なので困惑と現実の狭間で
悪戦苦闘しまくりましたが、その後の状況をお伝えしときます。

まずはいきさつを...
86歳高齢ながらも、とても元気で独り住まいをしていた義母が
明け方トイレに立った時、目眩を起こし倒れて入院
  ↓
検査の結果、悪い目眩でなかった(三半規管系)のですぐに治るも
 点滴針刺し失敗、ナース達との意思疎通がうまくいかない、
 食事がおいしくない、話し相手が居ない、等の病院ストレスで
 心房細動(これにより一時的に脳が酸欠になるという)不整脈が発生
  ↓
これって脳梗塞を起こす可能性があるものだから
 さらにベッドに固定されてしまった。
  ↓
動かない&ストレスでまたまた心房細動を誘発するの悪循環で
 軽い脳梗塞を起こしてしまった。
  ↓
言語障害、運動障害、意識混乱、味覚障害、等症状が発生。
 そんな重い症状になってるとはつゆ知らず担当医からの助言で
 兎夢が一時帰宅の申請をして一人で義母自宅に連れ帰る。
  ↓
思うようにならない大謎に包まれながら悪戦苦闘の末
 発生してた麻痺を大方治して義母を病院に戻し、
 大急ぎでショートステイできる施設の手配をする。
 (この間、間があいたためベッドに固定されてる義母が
  また脳梗塞を起こさないよう毎日2時間の会話を実行)
  ↓
10日間の介護施設生活
 普段デイサービスで利用してた所なので知り合いも多く
 病院のように点滴されたり身柄拘束されないので
 結構楽しく過ごしたもよう。
  ↓
義母を自宅に戻して、以前の独り住まい生活ができるか
ヘルパー、息子、嫁、の通いでフォローしながら現在要観察中。


ということになってるんですが、
義母は足腰が以前より弱くなっていて歩行に時間がかかるものの、
あの苦戦したトイレも手すりを1本増やしたりの工夫で、
自分一人で出入りできるようになってました。
椅子も一人で座れるし立ち上がることもできるし
あの夜、兎夢がどうしても運べなかった隣の寝室にも
一人で歩いて行けるし、キッチンにも行ける。
そして、私達ににこやかに感謝を述べる。

...ていうか、

元の生活をしています!(@o@/


先日、何も手を貸さないでこの様子を見守った兎夢は
たった12日前にこの同じ場所で、まるで戦場のように
“共に戦った”ことを思い出し、奇跡を見てるような気分で
もう感慨ひとしおです。

みなさん、86歳でも復活できるんですよ!
いや、このままずっと安心なんてこれっぽっちも思ってませんけど
義母があの状態から復活したことだけは本当に確かなことなので
皆さんにも知っておいてもらいたいなと思いここに記しておきます。
そして。
今、いろいろわかってきたことや皆さんからの体験談等を聞いて
この復活へのポイントも自分なりになんとなくわかるのでこの事も
書いておこうと思います。


まず一番最初のポイントは、担当医からの助言です。
この先生はなんでもなかった普通の義母のことを良く知ってたので
いち早く身内に助言ができたのです。

 お年寄りばかりな病棟では普通の義母を知らなければ
 最初からそういった(少しボケた年寄り)と思われて
 しまうのです。なので初期症状は見逃されがち。

二番目のポイントは、この助言を受けて本当にすぐに連れ帰って
自宅リハビリをさせたこと
だと思います。

 この時の私と同じ体験をされて、病院に任せた方が安心と
 判断された方のご家族はそのまま麻痺が残ってしまい、
 現在、大変後悔されている、とのお話を聞きました。
 普通の病院はリハビリをしませんし、逆に“動かさない”という
 本人にとっては良くない方の状態になります。

 Wikiの【脳梗塞】によるとこんな記述もありました↓
 機能予後は、リハビリテーションをどれだけ積極的に実施できたかに
 よるところが大きい。病床で安静にする期間をできる限り短くし、
 早期から日常に近い生活を目指すことが重要である。
 超急性期リハと呼ばれる、発症当日からのリハビリが
 最も有効であることが示されている。

 (確か義母は発症2日目からのリハだと思います)
 

三番目のポイントは、義母自身の「元の生活がしたい」という
とても強い意志と根性
があったからだと思います。

 いや、「元の生活ができるようにならなければ」という、
 もっと切羽詰まった気持ちかもしれません。
 何故なら、いろんな事情から今後“息子の家に引き取ってもらって
 つきっきりでめんどうをみてもらえる”という選択肢がないのです。
 そして昔の方なので将来家を継いで親の面倒を見る長男家と、
 分家した次男家に対するあからさまな差別をし続けてきた結果、
 次男の嫁には「やってもらって当然」という気持ちより
 「世話かけてすまない」という気持ちの方が大きいのです。

 でもコレが逆に義母の復活の原動力になったのだと思います。
 もしあの悪戦苦闘の夜を共にしたのが、長男の嫁だったり
 実際の母娘関係だったらもっと甘えが出て、あんなには
 がんばり通せなかったんではないかと思ったりもします。
 次男の嫁である私ががんばればガンバるほど
 義母は元の生活に向けて泣きながらもがんばったのでしょう。
 

と、このように3つのポイントが運良くうまく重なることによって
今回義母は86歳にして無事早期復活をとげることができたんでは
ないかな、と思ってます。

それにしても人間の脳って凄いですね。
86歳で、脳組織が酸素不足のため壊死、または壊死に近い状態になっても
こうして復活するんですよ!
(更紗さんのコメントによると93歳でも復活しています!)

もっとずーーーっと若い私たちが『最近、ボケたなぁ。。。』なんて
呑気な事言ってたら(え、言ってない?)なんだかもったいないですね。
もっと一生懸命脳を使わなければ(^.^;


ところで、この脳梗塞ですが高齢者だけの病気ではありません。

肥満→心臓病→脳梗塞
肥満→糖尿病→心臓病→脳梗塞

心臓疾患ってなんとなく一気に即死なイメージがありましたが
(心臓発作で一発即死って思ってたの私だけ?)
麻痺という後遺症を残す、本人にとっても家族にとっても
大変な病気なのですね。
みなさん、今は人ごとで読んでいても、本人の立場になるか、
介護側の立場になるか、遠い将来なんらかの形で身の回りに
ふりかかってくる問題でもあると思いますよ。

....そしたらこの時の兎夢を思い出して、
勇気を振り絞る足しにしてください。(え、ならない?(^.^;)

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謎の解明

悪戦苦闘の夜、
小柄な義母なのに全然動かせないという大きな謎に包まれた兎夢でしたが、
その後段々その謎は解明されてきました。

あの記事を読んで、みんなに
「寝ちゃった子供は重たい」てやつでしょ、とか
「酔っぱらいは重たい」と同じ?とか言われましたが、

いや、違う。キッパリ違う。
そんなのは謎ぢゃない。

だから、
「謎に包まれるほど動かせない」のが謎なのです。


しかし、義母が急速に復活をとげた結果から考えると
あの日の義母は病院から帰宅した直後から、一旦
“酸素不足のため壊死または壊死に近い状態”になっていた脳組織が
ものすごい勢いで再生されていたのでしょう。

それは私とかわす会話から刺激を受けて、頭の中では火花を散らす
勢いでシナプスがなんちゃらこうちゃらしてたハズ。
そしてスムーズにいった所もあればちょいとおかしな接続を
しちゃったとこもあって、それが“運動能力”だったんだと思います。

たとえば、こう。
「立とうとすると反対にしゃがんでしまう」
「抱えてもらおうとすると反対に別なとこにしがみついてしまう」
「腕を伸ばそうとすると反対に縮んでしまう」
「顔をあげようとすると反対に伏せてしまう」

もうまさしくコレです!
これしかありません。
あの時、あまりに謎なので義母の顔を何回も覗きこみましたが
いつも眼をつぶるほど一生懸命“なんか”やってました。
この“なんか”が反対のことだったんだと思います。
(わざとではないんですよ。本人は一生懸命普通にやってるつもりなんです)

だから、動かす事ができない。
だから、再起動した(一旦寝た)らうまくいきはじめた。


別に医者に聞いたわけではありませんが、
絶対こうだったと思います。
うん。

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混乱の中の冷静

私が一時帰宅で連れ帰る前日の義母は、こうでした↓

不整脈を起こしナース達と接触中、ものすごく興奮してしまい
言う事を聞かなくなって点滴の針を抜いたり暴れたりしたため
病院からなだめて欲しいと電話があり駆けつけてみると義母は
妙な表情で、ろれつのまわらない言葉でしゃべったり
何言ってるのかやっとわかったと思ったら
「看護婦が殺そうとした」とか
「昼食に毒を盛られたから食べなかったら今度は点滴に毒を入れてる」
とか、おかしなことばかりしゃべりました。

今思えばこの時“脳組織が酸素不足のため壊死、または壊死に近い状態”
ってやつになってたんでしょうが、この日は日曜日で担当医が居ないし
とにかく“なだめて”落ち着かせることだけをしました。

私は義母を後ろからむぎゅぅっと抱きしめ耳元でいろいろ魔法の言葉を
大声で囁きました(笑)魔法が聞いて(?)すっかり落ち着いた義母は
そのままおとなしくベッドに戻ったので安心して私は帰宅しましたが、
翌日同じ病室の身内の方から聞いたのですが、夜になって義母はその方を
ナースだと間違えて大声で呼んだり、服を全部脱いでしまったり暴れたり
かなりな“奇行”をしたらしいのです。
(そしてその後一時帰宅したわけですが)

さて。
このあたりの“異常だった時”の事を義母がその後
落ち着いた時、自分で話すんでおもしろい!
これは、復活した人ならではのことですよね(笑)

あの日のことは、その後“怖い夢を見た”ということにしてるんですが
麻痺が治って一旦病院に戻った時、義母が話すには....

あの日(義母がおかしくなった日)の夕食にお弁当屋さんが来て
お弁当を受け取るも蓋をあけたらそこにはティッシュが入っていて
おかしいな?と思いながらそのティッシュを取っても取っても...
更に取っても取っても....結局ご飯は出てこないでティッシュだけ
だったそうな。
後でお弁当の容器を引き取りに来た娘さんにそのことを言ったら
「そうだったの?あらごめんなさいね」と言ってまたお弁当を
持ってきてくれてそれはちゃんと食べられた。と言う話。

「ティッシュがご飯なんてそれはやっぱ夢でしょ、それにしても
 変な夢だね〜」と私が笑うと
義母も「ねぇー変な夢でしょ」と笑いながら、
「でもね、ほら、ソレ見て」って
ベッド横の引き出しの上にある、箱から全部出されたと思える
ティッシュの山盛りに眼をやるんですよ。

そーなんです。
こないだ(義母がおかしくなった翌日)からある、
箱から全部出されたと思えるティッシュの山盛りを見ながら
「これは一体なんだ???」と不思議に思いながら
この話を聞いていたので思わず大笑い!

義母も一緒に笑いながら
「夢なのにお弁当のティッシュがそこにあるよぉ」といふ。

で、ちゃんと自分で言いましたよ。
あの時は、頭の中がおかしくなってて、夢と現実がごちゃまぜに
なってたようだ、って。しかも普通に見る夢よりやけに長く感じる
夢なんだって。

そして驚いた事に、こんなにおかしくなってた日のあの時に
義母をなだめようと私が耳元で囁いたあの“魔法の言葉”
これは現実のこととして「アンタがあの時私にこう言った」って
一字一句間違わずに復唱するんです。
かなりおかしくなってて、顔の表情も言ってることも妙だった時に
聞いた言葉だというのに、4日後に一字一句間違わずに言える。
ちょっとびっくり。。。。

え?魔法の言葉って? それは内緒だけど(笑)....
内容的には小さな子供を諭す時みたいに安心する優しい言葉を
あれこれ結構長くしゃべったんですけどね、全部言えるんですよ。

ということであれですよ。
何が言いたいかと言うと。
脳梗塞で身体が麻痺したりすると見た目にはアレですが
脳の中が全部麻痺してるわけではないのでまったく普通の意識の所も
ちゃんとあるわけで、いくら別人のように見えても
何もわからないかのように見えても本人の前で、本人が嫌がる言葉や
傷つく言葉やみんなで困った困ったと家族会議など絶対してはイケナイと
いうことですね。

そんなの常識でしょ普通やらないでしょ。とか今まで思ってたけど
でも、思い起こせば吸い飲みが受け取れないで異常を感じた時
義母が居る所で先生に「義母がヘンなんですけど」と言ったり
してますね。
見た目にヘンで言ってることもヘンで頭の中混乱してるみたいだけど
まったく普通の所もちゃんとあるので、普通他人に目の前で
「この人ヘン」って言われたら凹むよね。
ということを忘れないでおこうと今回の義母を通して学んだ学習でした。

さて。
義母の件についてはこのblogを介護日記にするつもりもないので
記事にするのは、たぶんこれで終わりだと思います。
私は今後もぶち当たったことにあたふたしながら必死に対処していく
のでしょうw
でも、こうゆうことって絶対一人では無理です。
今回みなさんからコメントもらったりアドバイスいただいたり
メールをいただいて余計に実感しています。

皆さん、ありがとですm(..)m


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2007年4月11日 (水)

それはあっという間に!!!

前記事にたくさんのコメントありがとうございます。m(..)m
私も思い起こせば腹が立ってこのままではすませないぞ!って
気持ちなのですが、その後立て続けに“初めての経験”が起こり過ぎて
現在毎日を必死にこなしてる状態なのです。
とりあえず、ここんとこの驚愕てんてこまい体験を記していきます。


義母は最初強い目眩で倒れ運ばれましたが、
その日のうちに目眩も治まり私が駆けつけた時には
 「湯沸かしポットと炊飯器に電源が入ったままなので
  悪いけど家に行って消して来て欲しい」
と私に依頼して状況も普通によくわかっていました。
病院から義母の自宅まで電車で一駅の所なのですが
義母は夜になってることを心配して
 「電車でなくタクシーで行きなさい、」
と言いタクシー会社の電話番号を空で言いました。
いつも自分がタクシーで通ってる病院なのでちゃんと暗記してるのです。

2日目には、院内を(点滴スタンドを杖代わりにして)一緒に歩き
ちょっと部屋からは遠いトイレとかにも行きました。

そして入院して3日目、いろんな検査の結果も出て目眩の原因は
「脳」からきたものでなく「耳」からのもので特に心配はない
とのことで「いつ退院してもいいよ」と担当医に言われたのですが、
義母は独り住まいなのでなんとなく病院の方が安全かな、という意識で
「じゃ、もう少し居て(5日後)来週の水曜日に退院しようか」と
義母と話し合って決めました。

私が「退院楽しみだねぇ、じゃぁまたくるよ」と言って部屋を出る時
義母は「廊下まで見送るよ」と言ってベットから独りで降りてきて
部屋から廊下に出た所でいつまでも手を振って私を見送りました。
ずーっと見てて...私が道を間違えて戻ってくる所もバッチリ見られて
私は恥ずかしがりながらこの日帰ったのです。
本当にこの日までの3日間はまったく普通で、今思うともしこの日に
退院してたらきっと義母は普通に今までどおり生活を続けられたんでは
ないかと思います。
ところがこの後、あっという間に義母は別人のようになってしまいました。

原因は“まったく運動をさせなかった”からです。

義母は同じ病室の人がやはり高齢で重症でしゃべれない状態な人ばかりで
つまらないので、退院に備えてせっせと独りで歩行運動に励んでいたら
ちょっと不整脈が出てしまい、
それからまったく歩行禁止となってしまったのです。
トイレもベット横のポータブルトイレ。
点滴と酸素マスクで絶対歩行禁止。
このベットに縛り付けられた状態で3日目。

このたった3日間で、義母は何かしゃべろうとしてもろれつがまわらなかったり
しゃべれても急に「看護婦に殺されそうになった」とか
「ここに居ると殺されるから今すぐ家に連れ帰ってくれ!」
ってなことを言ったり、コップを渡しても手がフルフル動いて
受け取れなかったり...
表情も何か変な感じなのです。

あまりに急に様子がおかしくなったので先生に言ったら

 「このままではボケるだけです。
  でも今すぐ自宅に連れ帰ればもとに戻る可能性があります。
  不整脈もストレスによるものでしょう」と言われ
 「それでは夫と相談して明日かあさって.....」と言う私に先生は
 「正直言ってそんな猶予はないと思います...できれば今すぐ」

と言うのですよ!

驚いた私は、ろれつがまわらなくて意味不明なことを必死に私に訴えてる
義母を見つめながら、う〜〜みゅと考えて決心しました。
大急ぎで(病院から私の自宅までは電車&徒歩で40分ぐらい)自宅に戻り
翌日夜までにしあげなくてはならない仕事の資料をバックに投げ込み
再び病院に戻って私ひとりで雨が降る夜、義母をタクシーに乗せて
義母の自宅に連れ帰ったのです。(夫は栃木県に単身赴任中なのですわぁ)

私は次男のヨメでして...今までに同居経験はなく、
義母の現在のお宅も最近引っ越したばかりなので
確か訪問したのは2度ぐらいかと。
そして自分の親はもっとずっと若いのでもちろん私には
介護経験などというものはまったくなく。

もし介護というものがどんなものかもっと具体的に知ってたら
こんな無謀なことはしなかったかも(^.^;
しかし“知らない”というのはある意味不思議パワーを
生み出すものなのかもしれない。

つづく。↓

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悪戦苦闘!!!

↑上からの続きです。

3日前に見た義母は、自分でベットから降りて更に廊下に出てきて
いつまでも私を見送ってくれたのに、
 「今すぐ家に帰ろうね!」と言ってベットに座らせて
あれこれ持ち物を支度してたらずっと座ってる姿勢ができなくて
大事な手提げ袋を抱えながらゆっくり仰向けになっていくのです。
何度が元に戻しながら一時帰宅の手続きを済ませ
車椅子を押してエレベーターに乗ると正面が鏡でした。
1階に着いてバックさせて出ようとすると義母は
 「なんでココのドアから出ないの?」
と正面の鏡を指差して言いました(^.^;
 「それは鏡でしょ(笑)」
と、この辺までは私も笑って余裕があったのですが。。。

1階玄関で、呼んだタクシーが来たとたん事の難しさを感じ始めました。
雨が降ってました。足下滑るし、荷物もあるし....
なるべく車椅子でタクシーに近寄ろうとそばに行くと
地面が平でなく行きたくないとこに流れて行きます。
必死でコントロールしてると運ちゃんが何か言ってます。
私はタクシーのドアに近づきすぎて自動ドアが開かないらしい(^.^;

車椅子って病院内はするする使いやすいけど普通の外に出ると
地面は平でなく急に重くなってコントロールも難しい。。。
しかも義母は3日前と全然違っていてなんだかヘナヘナなので
乗り込ますのにひと苦労。
ベットでもちゃんと座ってられなかったのにタクシーの中では
どうなんだろ。
隣に座りたいけど荷物と義母だけでなぜか後部座席がいっぱい!
運ちゃんにあなたは前に乗りなさい、と言われ義母が心配だけど
私は前に乗りました。
するとタクシーの運ちゃんは
「ゴメンね、私は手伝うことができないんですよ」としきりに謝ります。
介護資格を持ってない人が手伝ってもしものことがあったら
訴えられるので手伝いたくても手をだせない、ということらしい。

ふ〜ん....なんだか“日本”ぢゃないみたい。。。
別に腹は立たなかったけどちょっと寂しい気持ちでした。

そして運ちゃんが言ったこの言葉でドキリ......!


「で、どこへ行けばいいの?」

私は義母の住所は冒頭の地名だけで詳しい番地は知らないのです。
義母はいつもなんて言ってるのか....
ここはやっぱり義母に言ってもらうしかないのですが、
今はしゃべる言葉の半分は聞き取り不能な状態なので果たしてここで
ちゃんと通じる事が言えるんだろか.....

祈るような気持ちで...でもものすごくさりげなく
 「おばぁちゃん、いつもタクシーの運転手さんになんて言ってるの?」
(会話の中では義母のことをいつも呼んでる通り“おばぁちゃん”と表記していきます)

義母はなんどか吃ったものの、ちゃんと住所と番地と
いつも降りてる場所の目印を言えました!(ぅわぁ〜よかったぁ〜)

その後運ちゃんとは、要約するとこんなこと
→義母がなんでもなかったのに急にボケ老人みたいになってきたから
慌てて自宅に連れて帰って正気に戻すとこ、
私はヨメだけど今これをすることができるのは自分しか居ないということ、
介護経験はまったくないのでなんだかさっぱりわからないこと、等
話してるうちに義母宅に到着。

タクシーから玄関まで4メートルぐらい歩く状況なのですが
やっぱり足がヘナヘナですごい大変、、、、、
タクシーから降ろすのと1メートル歩くので予想を遥か越えた時間がかかり
タクシーの中に荷物がまだあるので途中大声で
「スミマセーン!思ったより時間がかかるみたいですー!」
と叫ぶと運ちゃんも車の中から
「いいよー!ゆっくりゆっくりね!」
と叫び返してきたw

半分ぐらいの所にやっときたけど地面の段差であれこれ必死になってたら
義母がフィに力を抜いて
「やっぱり私は病院に居なきゃイケナイ身体だったんだ」と
ヨヨヨ、、、と泣き出した。
帰りたかった自分の家を目の前にしてなかなか到達しないから
情けなくなったらしい。
自分の身体がおかしくなってることを思い知って
激しくショックを受けてるんだね。
気持ち、よくわかるけどタクシーをずっと待たせたままだし
雨降ってるし、早く家の中に入れたいから
「大丈夫大丈夫」「着いたよ着いたよ!」
妙に明るい声を出しながら一気に力を出して義母を運んだ私。

とりあえず義母を倒れないように玄関先に座らせて、
慌ててタクシーに戻ってぜいはーぜいはーしながら(^.^;
荷物を運び出して時間がかかったことを謝ると
運ちゃんは「がんばれよ......がんばれよ!」と何度も私に言って
走り去って行きました。

あぁ...自分しか居ないんだなぁ....と私は私で思い知りながら
義母の居る玄関先に戻ると、うずくまったままタクシーの居た方を
振り向いて「あれ?タクシーに乗ってたもう一人の人は?」と言う。
真っ暗な玄関先でそーゆーこと言われるとちょっとドキっ!とするけど

「あれは運ちゃんだよぉ〜」
「あ〜そうかい」
「あっはっは。」

今思うと、この辺まではまだ笑いがあって余裕もあったかも。

本当の文字通り悪戦苦闘はこの後なのでした。

つづく。↓

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もっと悪戦苦闘!!!!

↑上からの続きです。

義母の家は昔風の家でガラス引き戸の玄関をガラガラっとあけると
靴を脱いでよいしょっと30センチぐらいの所に上がります。
そして更に障子戸をあけて居間に入って行く感じ。

ここに義母を腰掛けさせていたので.....
さて立たせて上がらせなければなりません。
たった今、地面のちょっとした段差でも手こずっていたのに
この高さはいったい!
連れ帰ろうと思った時この高さのことなんかさっぱり考えてませんでした。
っていうか、かなり様子がおかしくなってたけど、なんとなく
“言う事がおかしいだけで運動能力はやや弱々しくなってる程度”と
勝手に思い込んでいました。
ところがまともに歩くことさえままならない状態。
そんなことココに来て初めて知ったような。
(だって怪我もしてないのにたった3日でそんなことになってるなんて
 今までの自分の常識では想像できなかったから)

ちなみに私の身長は150センチ。(ちっこいでしょ)
で、義母は年々縮んで顔が私よりもっとずっと下にあるので
すっごく小さいおばぁちゃん...ってイメージなんです。
(私、自分よりちっちゃな大人にあまり出会ったことがないからね)
なんかね、こんな私でも子供を扱うように案外簡単に抱えたり
抱き上げたりできると思ってました。
しかし.....よいしょ!っとやればそこに上げられると思ったのに
何をいくらやっても義母を玄関先から上に上げられません。

不思議なくらい(^.^;

そうこうしてるうちに義母の方が
「立って歩けないなら這ってみよう」と思ったらしく
立ったまま上がる体勢を辞めてペッタリ床に這いつくばりました。
そこで赤ちゃんのようにハイハイで!...と思ったのでしょう。
でも現実はどうなったかというと、、、、
両腕にも胸にも脚にも力が入らず両手両足開いたままで
全身ペッタンコで床に張り付いてしまいました。
後ろから見ていた私にはとってもヘンなたとえで申し訳ないのですが
まさしくあの“貞子”を後ろから見てる状態です。
しかも“貞子”ほど顔が上がらず、張り付いたまま前に進もうと
身体に力を入れると顔が床にまっすぐくっつき鼻も口も床に密着して
ほっとけば窒息に至りそうな体勢なのです。

あ、慌てますよねぇ?

慌てて靴を脱いで駆け上がり義母を後ろから跨いだ格好のまま
両脇に手を入れて義母を床から剥がすように持ち上げましたよ。
...でもね、ただ持ち上げただけ(^.^;
手も膝も脚も前に出なくて、とりあえず座ることもできない。
剥がしては休み、剥がしては休み、、、
義母も私も力振り絞ってうんうんはぁはぁ言いながらなんとか居間の
コタツがある所まで運び、膝ついてつかまり立ちするような体勢に
持っていくこと数十分。
さぁ後は義母専用の小さな椅子に座らせるだけ。
お尻に椅子をあてがってヒョイっと座らせたいんだけど
何故か不思議な事にそううまくはいかない。
義母は今度はコタツに張り付いていてなかなか剥がれないのです。

後ろに引っ張ろうとするから剥がれないのか?
それでは立たせてみよう...とその膝をついた体勢からがんばって
立たせようとすると義母の足首は死んだ小鳥のように丸まっていて、
立つ体勢にもならず!

あれーーーー?????
ここに椅子があるのにいったいどーやって????
謎と疲労に包まれるのです(^.^;

つづく

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情けない夜

↑上からの続きです。

巨大な人形でもお尻に椅子が触れてれば後1分ぐらいで乗せることが
できそうな気がするのに“小さなおばぁちゃん”はいくらがんばっても
何故か乗せられない....不思議だ、実に不思議だ。。。

そうこうしてるうちに何かの拍子にうまくいって助かった!
それはもう二人で手を握り合って大騒ぎ(^o^/
「やったねー!椅子に座れたよ、家だよおばぁちゃんの家だよ」
「帰ってきたよ病院じゃないよ自分の家だよ、よかったねー!」
義母もいつもの椅子に腰掛けてにっこり嬉しそうに笑う。
そして二人同時に....

「あ”〜喉が乾いたね〜お茶が飲みたいよぉ」

義母は最初こそ、キッチンの窓に向かって
「そこから誰か覗いてる、あれは誰?」とか言ってたけど
身体が落ち着いてくると気持ちも落ち着いてきて
お茶を飲みながら新しい湯沸かしポットの説明をし始めました。
使い方や、これを買ってくれた人のこと、
ポットとは反対側にある新しいストーブが新しくなった時のいきさつ。
救急車で運ばれた日のこと。
毎日朝起きてからの日課。
セブンイレブンに売ってるおかずの話。
たまにテレビに目をやり、芸能人の話。
その時代劇に出てる俳優の名前がなかなか思い出せなくて
(悪いけどそんな人私も思い出せないよ(^.^;)

「あ〜やんなっちゃうね頭ボケたかな....」

とか言うので思いっきり笑わせていただいた。

・・・・・平和だ。

義母は話せば話すほどどんどん普通になっていく。
吃りもせずハッキリいつものように話せるようになり
話す内容もおもしろい。
「輪ゴムはどこ?」「お米はどこ?何合炊く?」どんな質問にも
すらすら答えるし妙な事はひとつも言わない。
6時間ぐらい前はろれつがまわらなくて、やっとしゃべっても
先生に年齢を聞かれて「56歳」などと間違えてたりしてたのに。。。

これだけではない。
昼間は手渡した吸い飲みも受け取れなかったのに
今ではお箸を私より上手に使って自分でご飯を食べている!
貯金通帳の数字をメガネなしで読んでるしぃ(^.^;
さっきまでの状況とはあまりに違うのでこのひととき
幸福感に包まれちゃったりしちゃうのだ!!!(笑)

さてその後です。トイレはあの玄関横。
椅子から立ち上がってトイレに行く時は....家の中のせいか
落ち着いてきたせいか、タクシーから降りた直後よりはスムーズに
歩けるようになり「じょうずになってる!」と私に誉められ
本人もスムーズさを実感して喜びます。。
でもトイレで一旦腰掛けてしまうと、何故か立ち上がれなくなり
立ったまま出てこられないから再び“貞子”の悪夢とハードワークが
繰り返されるのです、、、、

だけど二度目の“貞子”は腕を伸ばして赤ちゃんのように使えたのです!
そしたら膝も使えて、数歩ハイハイができコタツまではさっきより早く
戻れました。
でもそこで体力が尽きたのか今度はつかまり立ち体勢ができず
コタツ横で右手だけテーブルに掛けたままそれ以上あがることができない。
私もただ持ち上げるばかりでは不思議な事に動かせないので
あれこれ考えて....
義母の背後にまわり、忍法人間座椅子〜な作戦に出てみたりしました。
義母をゴロンと横に寝かせて自分が背後につき腹側に義母を乗せたようにして
一緒に起き上がる作戦です。

なんかうまく一緒に起き上がれそうでしょ(笑)

でもねー!
120度ぐらいまでは起きられるけど何故かそれ以上はピクリとも
前に倒れなくなるんですよ。

え。なんで?????
人間座椅子は何かがつっかえてリクライニングシートのままなんです。
これじゃぁ起き上がれないし椅子に座れない。
ビリーズブートキャンプで鍛えた私の腹筋にも限度というものがあるしぃ。

あれれ?おかしいな?なんでだ?
いったいどーすれば????私は私で一生懸命考えて、
義母は義母なりに必死に力を入れている。
そして疲れきって再び義母が
「やっぱり私はここに来ちゃいけない身体だった...」
と言い始めてヨヨヨと泣く。

「大丈夫!練習すれば絶対大丈夫!今日は初日だから大変なだけ!」と
コタツ横でふたり転がったまま背中トントンしながらなぐさめてたら
義母はそのままコトっ!と死んだように眠ってしまった。。。。

私もすごく疲れてたのでちょっと離れてゴロンと仰向けになったら


ぁイテテテテテテ!

腰が激しく痛くて仰向けに寝られない(^.^;
どうやら腰を傷めてるもようぅぅぅ。

コタツ横にゴロンと転がってる義母を隣の部屋のベッドに運びたいけど
とーてい無理な感じ!...いや、絶対無理。
なんということだ。
病院から家に連れ帰った夜、
私は義母をベッドに寝かすことができなかった....ということになるんだね。

ををぅ...
情けなーい。。。
予想もしてなかったこの情けない状況と腰の痛みにもだえながら
気を紛らわすために携帯電話でメールを2通ほど打った。
......

このへん現代っぽいでしょ(笑)

つづく。

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復活!

↑上からの続きです。

義母は座布団の上で、左頬に左手のひらをあてたかわいい格好のまま
ピクリともせずに眠っています。.....すでに2時間。
あまり動かないのでやっぱり死んでしまったのか???
(嫁が引き取ったとたん死んだ...なんてことになったら
 遠い福島の親戚一同になんて言われる事やら(^.^;)

呼吸を確かめました。....よかった、ちゃんと息してます。
よっぽど疲れたんだろうなぁ。....と思いました。

でも3時間半たってもまだ同じ格好です。
私は不眠症なのですがこの不眠症の犯人はオマエだろっ!てぐらい
“寝返り”を打ちます。こんちくしょうな寝返りのせいで
寝てるヒマがないくらいだっていうのに義母は4時間たっても
身動きしません。....どっか痛くならないのかなぁ。。。
少し心配になりました。

待てよ。
床ずれ...ってなんだっけ。
もしかしたら身体を動かしてあげたほうがいいのだろうか。
わ、......わからない!
どうしよう。
なんだかもしかしてすごく「動かした方がいい!」って
気がするんだけどタイミングがわからない。
きっとやりなれてる人だったらいとも簡単な事かもしれないけど
人が気持ち良さそうにぐっすり寝てるとこに手出しするタイミングも
やり方もわからない。。。

ほっとけばそのうち自分でむにゃむにゃ言いながら動くんだろか?
待てよ。
まともに歩けない、ってことは自分で寝返りも打てないのだろか。
あ、そうなのかも。
そうだな。

なんてことを必死に考えてたら更に時間がたっていて.....
さっきおしゃべりしてた時に聞いた
「いつも3時に起きてトイレに行ってる」
という時間がとっくに過ぎてました。

「自分で起きるかな?」「きっともう目を覚ますよ」
「あれ?起きないな」「目ぢからで起こしてみようかな...」

結局、5時間ほど同じ格好で寝かせたあげく、そばでじーっと
そろそろ起きて欲しい念力ビーム送って起こした結果となる(^.^;

目を覚ました義母の顔をじーっと見ると、
下側になっていた左目に大きなクマができていて
なんだか「誰かに殴られた」みたいに見えるではないか!
嫁が引き取ったら顔にアオタンできたって....(^o^;
これやっぱり寝返り打たせなかったせい?
う〜んこの件に関しては早急に勉強しとかなきゃいけないのかも...

なんてことを考えながら、果たして目を覚ました義母はひと眠りしても
この現状(一時外泊で自宅に帰ってる事)をちゃんと把握できてるんだろか、
それとも「ココどこ?」ってくるのか?
興味津々で最初のひとことを待つと.....

義母「あれ、こんなとこで寝ちゃったわよ。
   コタツで寝ちゃうなんて初めて!
   よっぽど私疲れてたのね」

と言った(^o^/
 
よかったー!
こんな普通のセリフがどんなに嬉しく感じたことか。。。。

その後は恐怖のトイレに再び挑戦なんだけど
意外にも寝起きの義母はすごくいい感じで
(まるで不調だったMacの再起動後のよう)
後ろから抱き上げても今度はコタツにくっついちゃうこともなく
足首もしっかりでスムーズに立たせることができた!
(さっきより10倍軽い!)
そしてとてもいい感じで歩いてトイレに入ったので
今回は絶対立ったままトイレから出てくるよう声を掛けました。
すると.......
立ったまま出てこれた!!!

トイレのそばに椅子を持っていって少し休んでもらいながら
コタツのところにちゃんとお布団を敷いてそこに寝てもらったら
なんと今度は更に5時間半ぐっすり眠って再び起きたときには
もっと身体が軽くなっててどこかにつかまれば以前のように
自分で歩けるようになってました。
午後には夫や義母の友人も来たけど、まともじゃなかった時を
まったく見てないのでみんな普通に以前のままの義母だと思って
話してました。

すごい!
すごいよ3日で別人になったけど2日で戻れたよ(^o^/

   
  これで問題が解決したわけではなく、まだまだ
  問題が発生してる状況には変わりはないけれど
  今回のこの体験は自分のためにも義母のためにも
  すごくよかったと思います。
  このまま一生同居は物理的にも無理だけど、
  今の自分に何ができて何ができないか、よくわかったし
  今後のことを考えるにあたってこの経験をしたのと
  しないのではきっと物の決め方が大きく違ってくると
  思うのです。

  それと、私のことを自分より華奢で非力だと思ってる
  義母は私が腰を痛めたのを知り、
  「私が身体をあまりにも思うように動かせないから
   アンタが思いっきり力を出して腰を痛めちゃったんだね....
   すまないねぇ」と言ってくれたので今後将来
  義母がもしもっとボケちゃって「アンタがお金盗んだ!」って
  言い出しても(お約束のようによくある出来事らしい)
  きっと怒らないでいられるだろうなぁって思えます(笑)

   

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