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2012年12月30日 (日)

年賀状

ふ〜ぅ。。。。
もうすぐ今年も終わりますね。
皆さん、年賀状無事投函できましたか?

私はいつもだと今頃追いつめられてヒィヒィしながら
年賀状を書いてる頃なんですが今年はちょびっとだけ
いつもより早く出せました。
と言っても4日前に書き終わったけどあまりの寒さで
外に出られず投函できたのはその翌日の午後だけど(^-^;
久しぶりに元旦に着くかなぁ?(期待)

でも実はもっと早く12月初旬ごろに
「そーだ!今年は早々と年賀状を描いてしまおう!
 たまには追いつめられない年末を体験したいもんだわ」

と、思い立ってハリキっていたんですがちょうどその頃
ポストに届いた“喪中ハガキ”に大変な衝撃を
受けてしまったのです

 

…昔はその多くが“祖母とか祖父”でした。
それが最近“父とか義母”とか親の代に移り変わってきて
『う〜む歳をとるということはこういうことなのね』と
なんとなくその移り変わりを実感してたのですが
今年の12月初旬に受け取った今年最初の喪中ハガキは
いつもの見慣れたものとはまったく違う綺麗な色づかいで
優しいイラストがあしらわれたものでした。
なんだか“素敵で珍しい喪中ハガキ”に見えたので「ん?」
「どなたかしら?」と良く内容を見たら.....
     
高校時代の仲良し同級生の名前

が、そこに書かれているではありませんか!
これには本当にびっくりしました。
年賀状は欠かさず出し合っていて長電話もしたりしてたけど
“偶然ばったり会った”(←1度あった!)以外、
意図的に誘い合って実際に会ったりというのは
何故か一回もなかったのです。
それは同じ県内でそう遠くはない所に住んでいたので
お互い「その気」になればいつでも会えるような
気がしてからだと思います。   
  

でも。。。

   
いつでも会える
....と思っていたのに

もう二度と会えない!

   
郵便受けから出して“その名前”を見た瞬間から見間違いかと思って
何度も何度も、何度も何度もハガキを読み返しました。
亡くなったのは本当に彼女なんだ!という現実を認めるのにとまどって
それを受け入れる事に少し時間がかかってしまったよう。

そして、そこから自分の部屋に戻るまでの間、
高校時代彼女と一緒に過ごした楽しい思い出が走馬灯のように
駆け巡ってきて胸が重苦しくなって何も知らないで過ごしていた
彼女の亡くなった日の自分がうらめしく思えて辛くなりました。

高校時代、同級生なのに私より数倍大人で
聡明でスラっとしててとても美しかった彼女。
(アルバイトも一緒に同じ店舗の中だったけど
 彼女は化粧品売り場で私はおもちゃ売り場←まさに適任適所
病気療養中の事を私に知らせなかった彼女の気持ち。
早すぎる死。
喪中ハガキのイラストから伺える遺された彼女のご家族の想い。
同級生の喪中ハガキというものがこんなにも辛く悲しいものとは...

そしてコレは“始まり”なんだな。
という事にも気づいてしまった!

人は生きてる以上、いつか必ずや死が訪れる。
普段あまり考えてないけどこれは当たり前の事。

ということは…
ずっと生きて行けばいつか誰かの喪中ハガキをこうしていきなり
受け取る事になるんだな!と普段考えてない事に気づいてしまい
当たり前の事なのにちょっと怖くなりました。

なんていうか“お通夜・お葬式の知らせがくる間柄”だと
事故でない限りそれ以前の状況もある程度知ってる事が多いわけで
それはそれでショックがあるけれど多少心の準備もあり
たとえ事故でも、お葬式で“お別れ”ができる。
“喪中ハガキ”で初めて知るというのは、何も知らなかった事が
とても重くのしかかり、そしてそれがとても悲しい…。

そんなこんなで結構落ち込んでしまい....
やっと再び年賀状を書く気になったのが
つい最近となってしまったのですが、

『あ〜大変年賀状早く書かなきゃ!
『わぁ〜い!やっと片付いたやれやれ

今まではこんな気持ちのセット↑だったけど今年は
“年賀状を出せる幸せ”を改めて噛み締めながら
友人知人達から来年も無事にもらえるよう祈りながら書きました。
そしていただいた年賀状で皆さんの無事を素直に喜びたい
と思います。

 

…そうか、これが年賀状の使命であり役割なのか。

    

Nennmatu
 皆様に素敵な来年が訪れますように…

今年も楽しくおつき合いありがとうございました。mm
   

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コメント

中学生の時友人が病気で亡くなったり、
高校生の時は同級生が自殺したり、
身近に死はあったのに、自分と死は結びつかず
悲しい気持ちはあったけれど、
どこか他人事のような気持ちもあって、
私が本当に死を実感したのは母方の祖母が亡くなった時でした
(ほんの何年か前)。
祖母は心臓が弱くそれまで何度も発作を起こしていたけど
いつも復活!していたので、
なんとなく祖母は永遠に死なないような気がしていて
亡くなった時は、人って本当に死んじゃうんだ…と思いました。
それから去年の震災で更に「死んじゃうんだ」って気持ちが
強まり、いろんな死亡事故のニュースを見るたびに
生きてる事のほうが「奇跡」なんだと思うようになりました。
今、元気でも明日生きてる保証はどこにもなく、
事故や病気は自分にも起こりうることなんですよね。
この当たり前のことに気付くのにとても時間がかかりました。
私も時々、すごく怖くなります。
夜中に目が覚めて眠れなくなることも。
兎夢さんのおっしゃるとおり、
どんな些細な事も「出来る」幸せに感謝しなければと思います。
一年の締めくくりに大切なことを再認識させてくださり
ありがとうございました。
そして兎夢さんが来年も無事に過ごせますように。

投稿: ゅぅ | 2012年12月31日 (月) 18:18

確かに…
年賀状がいつしか単なる新年のご挨拶ではなくて
「今年も健やかに歳を重ねましょうね」という願いを込めて贈るものに変わって来たからなんでしょうね。

我が家も今回は母がちょっぴりバテてしまって
急きょ帰省日程が変更になっております。
いつも家族にキビキビと指示を出しつつ
沢山のお料理を同時に作るぱわふる&がんばり屋な母も
ちょっとづ「助け」が必要な年齢になったのだなぁと
ふがいない娘は「何ができたっけ;>私」と思案中だったり^^;

上手く纏め切れませんが…
今年も本当にお世話になりました。
新しい年が兎夢さんにとっても健やかで穏やかな年でありますように。。。
 

投稿: 更紗 | 2012年12月31日 (月) 22:12

>ゅぅさん
 素直で丁寧なコメントありがとうございます。
 しかも素晴らしい締め!

 そうなんですよね。
 テレビのニュース等でたくさんの“死”を
 見聞きして胸を痛めたり涙したりしても
 自分の生活の中では別世界だったみたいで
 今回みたいに、年賀状を書こうとしたら
 もう彼女には一生書く事はないんだと気づき
 年賀状住所録になんらかの印をつける瞬間の“悲しみ”
 というのを体験すると
 自分も逆の立場にいつかなるんだろな、とか
 急に現実的になってきますね。
 たまにはこうゆう気づきをしていかないと
 雑な生き方をしちゃいそうなので
 これはこれで良い事なのかもしれません。

 ちっちゃな輝きでも見逃さず
 ささやかな幸せを大切に
 私にかかわってくださってる皆様に感謝しながら
 ゆっくりでも丁寧に
 (おもしろおかしく)
 生きていきたいですわぁ。

 ゅぅさんありがとです。
 そしてゅぅさんファミリーも
 無事に過ごせますように

>更紗さん
 今年は更紗さんがそちら広島に戻ってしまわれたけど
 こちらに居る間にお会いできてしかも楽しい時間を
 たくさん共有できて本当に良かったと思ってます。感謝感謝。

 お母様の事はちょっと心配ですが、
 いろいろな事によく気づいて臨機応変に対処できる更紗さんを
 私はバッチリ体感しましたので更紗さん流を思う存分
 発揮してくださいね。
 お母様と同じ事ができなくてもいいんですよ。

 いつもより忙しい?お正月を迎えることになるのでしょうか。
 お怪我なさらないよう(指とか指とか指!w)
 良い年をお迎えくださいませませ!

投稿: 兎夢 | 2012年12月31日 (月) 22:48

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